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介護老人保健施設、そろそろ見直したら? (2009年8月28日)
介護老人保健施設(老健)は、創設されたときの役割と、現在の役割が相当違ってきている気がします。それに創設されたときから、ちょっと無理のある仕組みだったのではないかと思う部分もあります。今回はそのあたりについて、考えてみます。
◆リハビリ施設なのに特養の待機場所に
もともとは、病院と自宅をつなぐ中間施設という位置づけでした。例えば脳梗塞で倒れた高齢者。急性期の病院で治療を行い、命は取り留めた。次に、麻痺の出た身体機能を改善するためのリハビリを行うために、回復期リハビリ病棟のある病院に転院した。そこでのリハビリ受け入れ期間は終了したけれど、また自宅で生活するのは無理がある。本来、そういうときの受け入れ施設が、老健であったはず。 老健で理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が中心となって、なんとか自宅で生活できるレベルまでリハビリを行う、という役割を担っていたはずですが…。最近の老健は、①特別養護老人ホームの待機施設化、②介護療養型医療施設の代理化が激しいような気がします。 ①は、特別養護老人ホームに入りたいけれど入れない高齢者が、自宅での生活は難しいのでとりあえず老健に入所して特養が空くのを待っているために起きていること。結局、特養に入所できないまま、老健で看取ることが増えてきたため、2009年4月には、「ターミナルケア加算」が設定されました。実態をきちんと評価したという点では正しいと思いますが、本来、老健はリハビリ施設なのですから、考えてみるとヘンな話です。
◆病院ではないのに病院の役割が期待されている
②は、経管栄養、在宅酸素、インスリン注射、気管切開等々、積極的な治療は必要ないけれど、医学的管理が必要な要介護者の行き場がないから起きてきていること。子ども世帯が共働きだったり、老老介護だったりすると、介護力が弱く、こうした医学的管理が必要な要介護者を在宅介護するのは困難です。こういうかたのために介護療養型医療施設というものがあったはずなのに、どういう計算なのか、介護療養型は不要と判断されて2011年度末には全面廃止の予定(本当に廃止できるのか微妙ですが)。 医療的ケアが必要で在宅介護が難しい高齢者は、経済的に余裕があれば、医療対応型の有料老人ホームに入居するのかもしれませんが、老健か特養への入所を希望するのが一般的。しかし、看護師が日勤帯でも入所者100人に1人ぐらいしかいない特養では、医療的ケアの必要な高齢者を受け入れるのは数人が限度。そこで、医師が施設長で看護師の人数が多いために、何となく医療的ケアをしっかりやってくれそうに思える老健への入所を希望する人が多くなります。 しかし老健も、看護師の夜勤は義務づけられていませんし、施設長が医師だといっても、認知症や高齢者の病気に詳しい医師ばかりではありません(産婦人科医が施設長という老健もありました)。そもそも、介護施設であって医療施設ではないのですから、人員面でも設備面でも、提供できる医療的ケアには限界があります。その点について、入所者やその家族の期待と、老健の実態にはかなりギャップがある気がします。
◆もともと介護報酬の設定がおかしいのでは?
それに、老健のそもそもの介護報酬の仕組みにも疑問を感じる部分があります。老健の入所者に医療が必要になった場合は、かなりの部分を施設内で治療行為を行わなくてはならないことが決められています。老人保健施設協会が「他科受診の手引き」という手引き書を発行しているのですが、それを見ると簡単な切除手術も含め、「こんなこと老健でできるの?」と思うようなことまで対応範囲とされていました。 老健は、入所している人に施設内で医療を提供することも含めて介護報酬が決められている、というのが厚生労働省の言い分。そのため、もし老健が「そんなこと言っても、うちではこんな医療行為は無理」と、入所者に他の病院を受診してもらったとしたら、その費用は医療保険での請求ができないので、かかった医療費10割分を老健が負担しなくてはなりません。 これは老健にとっては大きな負担。そのため、入所者が「病院を受診したい」と言っても、入所中も医療保険を使える特養のように簡単には受診させてもらえない、という事態が起きてきます。受診して、入院することになったら、即日、老健は退所扱いに。そうしないと、医療保険が使えないからです。 このあたりの仕組みについては、介護職員も把握していないことがあり、入所者やその家族に十分な説明ができず、トラブルの元になることもあります。 特に、現在のように医療的ケアが必要な入所者が増えて「疑似病院化」してくると、老健で医療費をすべて負担する仕組みは実態にそぐわない気がします。介護報酬を見直すか。老健で提供すべき医療の範囲を見直すか。あるいは、介護療養型医療施設の廃止に伴い、「介護療養型老人保健施設」に再編するのであれば、老健の役割全体をもう一度考え直すか。
そういう時期に来ている気がします。 (2009年8月29日)
もともとは、病院と自宅をつなぐ中間施設という位置づけでした。例えば脳梗塞で倒れた高齢者。急性期の病院で治療を行い、命は取り留めた。次に、麻痺の出た身体機能を改善するためのリハビリを行うために、回復期リハビリ病棟のある病院に転院した。そこでのリハビリ受け入れ期間は終了したけれど、また自宅で生活するのは無理がある。本来、そういうときの受け入れ施設が、老健であったはず。 老健で理学療法士や作業療法士、言語聴覚士が中心となって、なんとか自宅で生活できるレベルまでリハビリを行う、という役割を担っていたはずですが…。最近の老健は、①特別養護老人ホームの待機施設化、②介護療養型医療施設の代理化が激しいような気がします。 ①は、特別養護老人ホームに入りたいけれど入れない高齢者が、自宅での生活は難しいのでとりあえず老健に入所して特養が空くのを待っているために起きていること。結局、特養に入所できないまま、老健で看取ることが増えてきたため、2009年4月には、「ターミナルケア加算」が設定されました。実態をきちんと評価したという点では正しいと思いますが、本来、老健はリハビリ施設なのですから、考えてみるとヘンな話です。
◆病院ではないのに病院の役割が期待されている
②は、経管栄養、在宅酸素、インスリン注射、気管切開等々、積極的な治療は必要ないけれど、医学的管理が必要な要介護者の行き場がないから起きてきていること。子ども世帯が共働きだったり、老老介護だったりすると、介護力が弱く、こうした医学的管理が必要な要介護者を在宅介護するのは困難です。こういうかたのために介護療養型医療施設というものがあったはずなのに、どういう計算なのか、介護療養型は不要と判断されて2011年度末には全面廃止の予定(本当に廃止できるのか微妙ですが)。 医療的ケアが必要で在宅介護が難しい高齢者は、経済的に余裕があれば、医療対応型の有料老人ホームに入居するのかもしれませんが、老健か特養への入所を希望するのが一般的。しかし、看護師が日勤帯でも入所者100人に1人ぐらいしかいない特養では、医療的ケアの必要な高齢者を受け入れるのは数人が限度。そこで、医師が施設長で看護師の人数が多いために、何となく医療的ケアをしっかりやってくれそうに思える老健への入所を希望する人が多くなります。 しかし老健も、看護師の夜勤は義務づけられていませんし、施設長が医師だといっても、認知症や高齢者の病気に詳しい医師ばかりではありません(産婦人科医が施設長という老健もありました)。そもそも、介護施設であって医療施設ではないのですから、人員面でも設備面でも、提供できる医療的ケアには限界があります。その点について、入所者やその家族の期待と、老健の実態にはかなりギャップがある気がします。
◆もともと介護報酬の設定がおかしいのでは?
それに、老健のそもそもの介護報酬の仕組みにも疑問を感じる部分があります。老健の入所者に医療が必要になった場合は、かなりの部分を施設内で治療行為を行わなくてはならないことが決められています。老人保健施設協会が「他科受診の手引き」という手引き書を発行しているのですが、それを見ると簡単な切除手術も含め、「こんなこと老健でできるの?」と思うようなことまで対応範囲とされていました。 老健は、入所している人に施設内で医療を提供することも含めて介護報酬が決められている、というのが厚生労働省の言い分。そのため、もし老健が「そんなこと言っても、うちではこんな医療行為は無理」と、入所者に他の病院を受診してもらったとしたら、その費用は医療保険での請求ができないので、かかった医療費10割分を老健が負担しなくてはなりません。 これは老健にとっては大きな負担。そのため、入所者が「病院を受診したい」と言っても、入所中も医療保険を使える特養のように簡単には受診させてもらえない、という事態が起きてきます。受診して、入院することになったら、即日、老健は退所扱いに。そうしないと、医療保険が使えないからです。 このあたりの仕組みについては、介護職員も把握していないことがあり、入所者やその家族に十分な説明ができず、トラブルの元になることもあります。 特に、現在のように医療的ケアが必要な入所者が増えて「疑似病院化」してくると、老健で医療費をすべて負担する仕組みは実態にそぐわない気がします。介護報酬を見直すか。老健で提供すべき医療の範囲を見直すか。あるいは、介護療養型医療施設の廃止に伴い、「介護療養型老人保健施設」に再編するのであれば、老健の役割全体をもう一度考え直すか。
そういう時期に来ている気がします。 (2009年8月29日)