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MIYASHITA'S EYE
要介護認定修正だけでない
介護保険の今後の課題
(2009年9月27日)
◆要介護認定の再見直しがようやく決着
迷走を続けていた新しい要介護認定は、2009年7月28日に行われた「第3回要介護認定の見直しに係る検証・検討会」において検
討が行われ、10月から認定調査の判断基準はおおむね従来通りに再修正されることになり、一応の決着を見ました。これに伴い、更新認定において、要介護度が従前より上がった、あるいは下がった際に、希望により従前の介護度を適用する経過措置も9月末で終了することになりました。
この経過措置は、4~9月の間の新規申請者には適用されていません。10月に入ると、4~9月に行われた新規認定を不服とする要介護者、要支援者、非該当者が、再修正された判断基準で認定を受けたいと希望し、区分変更申請や新規申請が殺到しそうな気がします。この問題、まだ落ち着くまでには時間がかかりそうです。また、再修正された基準での認定については、一定の期間をおいて検証作業を行うことになっています。
ところで、この第3回検証・検討会において、本題以外にいくつか注目すべき発言がありました。これについて紹介します。
◆在宅を基準とした認定調査基準は作れないか
まず、NPO法人高齢社会をよくする女性の会代表の樋口恵子委員の発言。要約するとこのような内容でした。「介護保険は在宅重視という方針でスタートし、現在もその方針に変更はない。しかし、介護保険の入り口である要介護認定において、在宅の要介護認定の基準がないから、今回のような在宅・新規の申請者に軽度化が目立つというようなことが起こるのではないか。この機会に在宅の要介護認定基準ができないものか、ぜひ検討していただきたい」 今回の要介護認定見直しにおいては、介護保険開始から10年経ち、介護技術の進歩に伴う介護の手間、かかる時間にも変化があったとして、「1分間タイムスタディ」といわれる介護にかかる時間の再調査が行われました。しかしこれは介護保険スタート時と同様に、在宅ではなく施設において調査が行われ、施設の介護を基準とした時間となっています。樋口委員はこの点についての再検討を促したわけです。 この件については、4月から実施された要介護認定方法等についての検討を行った「要介護認定調査検討会」においても議論がありました。その際に言われていたのは、「1分間タイムスタディは調査員が介護職員のあとをついて回り、それぞれの介護にどれだけの時間がかかっているかを細かく調査して導き出すものである。それを在宅で行うとなると、在宅で介護をしている介護者、要介護者に多大な負担をかけることになる。また、在宅介護の環境、状況には個々の家庭により大きな違いがあり、調査対象の家庭の選定等、様々な問題がある。以上の理由から、1分間タイムスタディは施設での調査を基準としている」というようなことだったと思います。 たしかにもっともではありますが、できないと言っているいつまでもできないままです。樋口委員の指摘通り、本来在宅での介護を支えるために作られたのが介護保険です。在宅の基準で要介護認定を行っていない不自然さにもっと注目し、どうすれば在宅での1分間タイムスタディを作ることができるか、可能性を探ってほしいと思います。
◆そろそろ簡素化、効率化を進められないか
次に、東京都稲城市高齢者新課長の石田委員の発言。要旨は以下の通りです。「介護保険制度の信頼性が今後さらに高まり、国民に安心を提供できることになったら、制度は簡素化、効率化に向かうべきだ。今後の大きな方向性としては、ぜひ簡素化、効率化に向かい、国民にわかりやすい制度としていただきたい」 今回の要介護認定の見直しは、そもそもは、保険者(自治体)、認定調査員、認定審査会委員それぞれの負担を軽減することも、その目的の一つでした。しかし結果として、負担を軽減するどころか、特に自治体の負担は倍増しました。自治体には相当な不満が蓄積しているようで、この発言はその思いを代表しているのだと思います。 そもそも要介護認定は必要なのか、という声もあります。というのは、ケアマネジャーが正しくアセスメントを行い、適切にケアプランを立てればそこで保険給付量は調整されるはずで、2重の管理を行う必要はないはずだ、というのが、要介護認定不要論のかたの意見です。この意見はある意味、的を射ているのですが、利用者の言いなりにケアプランを立てる「ご用聞き」ケアマネジャーも未だ少なくない現状では、まだ難しいように思います。ケアマネジャーのみなさんには、「給付するサービス量の調整はケアマネに任せた!」と国から言われるように頑張っていただきたいと思います。
◆高齢者を9分類する必要はないのではないか
続いて、龍谷大学教授の池田省三委員の発言。うーむ、と考えてしまう内容です。 「ドイツや韓国等、公的に介護サービスを提供している国では、基本的に要介護3,4,5が対象である。日本ははっきり言って贅沢だ。なぜ高齢者を、非該当、特定高齢者、要支援1,要支援2,要介護1,要介護2,要介護3,要介護4,要介護5の9段階に分けるのか。9つにも分ける必要はなく、3つでいい。つまり、介護を必要とする人達、生活介入が必要な人達、そしてそれ以外の人達の3つだ。 介護を必要とする人達は介護保険で支える必要がある。生活介入が必要な人達は、社会福祉の分野になる。そして、非該当、自立の方達は、本人と地域の責任ということになる。今のように全員が介護保険にぶら下がっていたら、必ずその反動が起きる。つまりあるとき切り刻まれて、中・重度や認知症の人達にサービスが行かなくなる。そうならないために、例えば要支援の人達を介護保険ではなく地域でどう支えていくかといった構図を、まじめに考えなくてはならないと思う」 これは以前から、あちこちで話題に上っていた問題です。ポイントは2つあります。1つは、要支援・要介護度の段階が細かすぎるということ。もう1つは、要支援など軽介護者に対して介護保険でサービスを提供する是非についてです。今は、介護保険対象外の特定高齢者への介護予防事業も介護保険の費用でまかなわれているため、ここは特に問題になっています。 要支援・要介護度が細かすぎるというのは、私も同感です。認定調査員をしていたとき、状態像を見て、要支援と要介護3と要介護5ぐらいの違いはわかりましたが、たとえば要支援1と2、要支援2と要介護1、要介護1と2などの違いは、実際の認定が下りるまでわかりませんでした。なぜここまで細かくする必要があるのか、あまり理解できません。軽度、中度、重度と、最重度の方を在宅介護している際の特別給付の3段階+αのようなかんじでいいのではないかと思います。7段階にしたのは、細かく段階を分けた方が給付金額を抑制できると考えたのかな、と想像しています。 しかし、9分類を3つにするという池田委員の提案は、介護保険財源の問題と関わってくるので、簡単に意見を言い難いものがあります。たしかに現行の制度のままでは、おそらく財源が持たないでしょう。しかし国民が負担が増えても、充実したサービスを望むのであれば、9分類のままでいいのかもしれませんし、これ以上負担をしたくないということなら、削減の方向性を受け入れなくてはならないかもしれません。 そのあたりの国民的な議論が必要な時期が来ているという点では、池田委員の指摘はもっともだと思います。最後に取り上げる、高見委員の指摘もこの件と通じるところがあり、重要な指摘です。
◆削減を議論するなら
同時に削減分のカバー方法も議論すべきではないか
これは、社団法人認知症の人と家族の会代表である高見国生委員の発言。要旨は以下の通りです。 「介護保険というのは、いつでもどこでも必要なときに必要なサービスが受けられるということでできた制度である。介護保険を考えるときは、制度の側から国民や家族を見るのではなく、やはり家族や利用者の側から制度を見ないと本末転倒になる。そもそも認知症の人の介護は生活と切り離せない。切り離せない介護と生活をどう支えていくのか、というのが介護保険の趣旨であったと思う。 財源の問題などでいろいろ制度に見直しが図られてきたが、介護保険であろうと他の制度であろうと、介護をしているものが安心して暮らせる制度が日本にあるかどうかが問題である。そういう意味では、介護保険でどこまで見るかという議論をするのであれば、一方で、他の制度をどこまで充実するかという話が同時にされないと、国民の期待が裏切られることになると思う」 財源の問題からサービスを削減すると、高見委員の指摘の通り、おそらく国民は裏切られたという思いを抱くことになるでしょう。しかし財源を度外視して制度維持を考えることはできません。繰り返しになりますが、どこまで負担をする覚悟があるかということを国民自身も一緒に考えなくてはなりません。ただ、受け皿を用意せず、机上の計算だけで、お金が足りないから減らせばいいというやり方をしても通らないのは、療養病床削減の停滞で厚生労働省もよくわかっていると思います。国民の負担とサービス量のバランスをどう取るのか、両面からの議論を期待したいと思います。同時に、介護に関係する私たち一人ひとりが、こうした問題について様々な場で自分の意見を訴えていくことが大切だと思います。(2009年9月27日)
◆在宅を基準とした認定調査基準は作れないか
まず、NPO法人高齢社会をよくする女性の会代表の樋口恵子委員の発言。要約するとこのような内容でした。「介護保険は在宅重視という方針でスタートし、現在もその方針に変更はない。しかし、介護保険の入り口である要介護認定において、在宅の要介護認定の基準がないから、今回のような在宅・新規の申請者に軽度化が目立つというようなことが起こるのではないか。この機会に在宅の要介護認定基準ができないものか、ぜひ検討していただきたい」 今回の要介護認定見直しにおいては、介護保険開始から10年経ち、介護技術の進歩に伴う介護の手間、かかる時間にも変化があったとして、「1分間タイムスタディ」といわれる介護にかかる時間の再調査が行われました。しかしこれは介護保険スタート時と同様に、在宅ではなく施設において調査が行われ、施設の介護を基準とした時間となっています。樋口委員はこの点についての再検討を促したわけです。 この件については、4月から実施された要介護認定方法等についての検討を行った「要介護認定調査検討会」においても議論がありました。その際に言われていたのは、「1分間タイムスタディは調査員が介護職員のあとをついて回り、それぞれの介護にどれだけの時間がかかっているかを細かく調査して導き出すものである。それを在宅で行うとなると、在宅で介護をしている介護者、要介護者に多大な負担をかけることになる。また、在宅介護の環境、状況には個々の家庭により大きな違いがあり、調査対象の家庭の選定等、様々な問題がある。以上の理由から、1分間タイムスタディは施設での調査を基準としている」というようなことだったと思います。 たしかにもっともではありますが、できないと言っているいつまでもできないままです。樋口委員の指摘通り、本来在宅での介護を支えるために作られたのが介護保険です。在宅の基準で要介護認定を行っていない不自然さにもっと注目し、どうすれば在宅での1分間タイムスタディを作ることができるか、可能性を探ってほしいと思います。
◆そろそろ簡素化、効率化を進められないか
次に、東京都稲城市高齢者新課長の石田委員の発言。要旨は以下の通りです。「介護保険制度の信頼性が今後さらに高まり、国民に安心を提供できることになったら、制度は簡素化、効率化に向かうべきだ。今後の大きな方向性としては、ぜひ簡素化、効率化に向かい、国民にわかりやすい制度としていただきたい」 今回の要介護認定の見直しは、そもそもは、保険者(自治体)、認定調査員、認定審査会委員それぞれの負担を軽減することも、その目的の一つでした。しかし結果として、負担を軽減するどころか、特に自治体の負担は倍増しました。自治体には相当な不満が蓄積しているようで、この発言はその思いを代表しているのだと思います。 そもそも要介護認定は必要なのか、という声もあります。というのは、ケアマネジャーが正しくアセスメントを行い、適切にケアプランを立てればそこで保険給付量は調整されるはずで、2重の管理を行う必要はないはずだ、というのが、要介護認定不要論のかたの意見です。この意見はある意味、的を射ているのですが、利用者の言いなりにケアプランを立てる「ご用聞き」ケアマネジャーも未だ少なくない現状では、まだ難しいように思います。ケアマネジャーのみなさんには、「給付するサービス量の調整はケアマネに任せた!」と国から言われるように頑張っていただきたいと思います。
◆高齢者を9分類する必要はないのではないか
続いて、龍谷大学教授の池田省三委員の発言。うーむ、と考えてしまう内容です。 「ドイツや韓国等、公的に介護サービスを提供している国では、基本的に要介護3,4,5が対象である。日本ははっきり言って贅沢だ。なぜ高齢者を、非該当、特定高齢者、要支援1,要支援2,要介護1,要介護2,要介護3,要介護4,要介護5の9段階に分けるのか。9つにも分ける必要はなく、3つでいい。つまり、介護を必要とする人達、生活介入が必要な人達、そしてそれ以外の人達の3つだ。 介護を必要とする人達は介護保険で支える必要がある。生活介入が必要な人達は、社会福祉の分野になる。そして、非該当、自立の方達は、本人と地域の責任ということになる。今のように全員が介護保険にぶら下がっていたら、必ずその反動が起きる。つまりあるとき切り刻まれて、中・重度や認知症の人達にサービスが行かなくなる。そうならないために、例えば要支援の人達を介護保険ではなく地域でどう支えていくかといった構図を、まじめに考えなくてはならないと思う」 これは以前から、あちこちで話題に上っていた問題です。ポイントは2つあります。1つは、要支援・要介護度の段階が細かすぎるということ。もう1つは、要支援など軽介護者に対して介護保険でサービスを提供する是非についてです。今は、介護保険対象外の特定高齢者への介護予防事業も介護保険の費用でまかなわれているため、ここは特に問題になっています。 要支援・要介護度が細かすぎるというのは、私も同感です。認定調査員をしていたとき、状態像を見て、要支援と要介護3と要介護5ぐらいの違いはわかりましたが、たとえば要支援1と2、要支援2と要介護1、要介護1と2などの違いは、実際の認定が下りるまでわかりませんでした。なぜここまで細かくする必要があるのか、あまり理解できません。軽度、中度、重度と、最重度の方を在宅介護している際の特別給付の3段階+αのようなかんじでいいのではないかと思います。7段階にしたのは、細かく段階を分けた方が給付金額を抑制できると考えたのかな、と想像しています。 しかし、9分類を3つにするという池田委員の提案は、介護保険財源の問題と関わってくるので、簡単に意見を言い難いものがあります。たしかに現行の制度のままでは、おそらく財源が持たないでしょう。しかし国民が負担が増えても、充実したサービスを望むのであれば、9分類のままでいいのかもしれませんし、これ以上負担をしたくないということなら、削減の方向性を受け入れなくてはならないかもしれません。 そのあたりの国民的な議論が必要な時期が来ているという点では、池田委員の指摘はもっともだと思います。最後に取り上げる、高見委員の指摘もこの件と通じるところがあり、重要な指摘です。
◆削減を議論するなら
同時に削減分のカバー方法も議論すべきではないか
これは、社団法人認知症の人と家族の会代表である高見国生委員の発言。要旨は以下の通りです。 「介護保険というのは、いつでもどこでも必要なときに必要なサービスが受けられるということでできた制度である。介護保険を考えるときは、制度の側から国民や家族を見るのではなく、やはり家族や利用者の側から制度を見ないと本末転倒になる。そもそも認知症の人の介護は生活と切り離せない。切り離せない介護と生活をどう支えていくのか、というのが介護保険の趣旨であったと思う。 財源の問題などでいろいろ制度に見直しが図られてきたが、介護保険であろうと他の制度であろうと、介護をしているものが安心して暮らせる制度が日本にあるかどうかが問題である。そういう意味では、介護保険でどこまで見るかという議論をするのであれば、一方で、他の制度をどこまで充実するかという話が同時にされないと、国民の期待が裏切られることになると思う」 財源の問題からサービスを削減すると、高見委員の指摘の通り、おそらく国民は裏切られたという思いを抱くことになるでしょう。しかし財源を度外視して制度維持を考えることはできません。繰り返しになりますが、どこまで負担をする覚悟があるかということを国民自身も一緒に考えなくてはなりません。ただ、受け皿を用意せず、机上の計算だけで、お金が足りないから減らせばいいというやり方をしても通らないのは、療養病床削減の停滞で厚生労働省もよくわかっていると思います。国民の負担とサービス量のバランスをどう取るのか、両面からの議論を期待したいと思います。同時に、介護に関係する私たち一人ひとりが、こうした問題について様々な場で自分の意見を訴えていくことが大切だと思います。(2009年9月27日)