介護業界のいま

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母のケアか自分の夢か。厳しい選択を迫られた元ヤングケアラーが今思うこと
(2021年5月18日)


気がついたら母のケアを担っていた

ヤングケアラーへの注目が高まっている。ここでは元ヤングケアラーである高岡里衣さんの体験を紹介したい。ヤングケアラーは一人ひとり異なる事情、体験を持ち、彼・彼女を「ヤングケアラー」とひとまとめにすることはできない。そのことを理解した上で読んでほしい。

9歳の時から、母親のケアに関わるようになった高岡さん。原因不明の体調不良が続く母をサポートする日々から、ケアはスタートした。両親と兄との4人家族。しかし、女性が家事や家族の世話を担う家庭環境だったため、高岡さんはごく自然に、体調が悪い母に代わって家事を担うようになった。

指定難病の「多発性筋炎」とわかった母が入退院を繰り返す中、高岡さんが考えていたのは、大好きな母を支えるため、自分のできることをするしかないということだ。

「退院した母の通院にも、いつも付き添っていました。いつの間にかお出かけ先がいつも病院になっていた、という感じです。自分が母をケアしなくてはとか、ケアを担っているとか、そういう感覚はありませんでした」(高岡さん)

母をケアする生活は、いつの間にか始まっていたのである。

病状が安定せず、入退院を繰り返す家族に寄り添い続けるのは、大人でも難しい。

高岡さんも、病気の母をケアする目に見えない精神的な負担から、中学・高校時代には、めまいや吐き気、過呼吸の発作などに苦しんだ。

「様々なストレスをうまく消化できなかったんですね。どうしたらいいのか分かりませんでしたし、そもそもどうにかする必要があることにも気づいていませんでした」と高岡さんはいう。

高校時代、過呼吸の発作で登校できなかったとき、担任教師が家庭訪問してくれたことがあった。しかし、そのとき教師と高岡さんの間で交わされたやりとりは、「お母さんの調子はどう?」「相変わらずです」という程度。担任教師は、それ以上踏み込んでは来なかった。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/miyashitakumiko/20210518-00237754/